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【編集部ニュース】知っていますか?『伏見城』は、三つあったのです‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  

まいぷれ京都市伏見区編集部

現在の伏見城天守閣「【編集部ニュース】知っていますか?『伏見城』は、三つあったのです‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

現在の伏見城天守閣

現在の伏見城天守閣と桜「【編集部ニュース】知っていますか?『伏見城』は、三つあったのです‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

現在の伏見城天守閣と桜

御香宮神社の表門「【編集部ニュース】知っていますか?『伏見城』は、三つあったのです‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

御香宮神社の表門

まいぷれ伏見区編集スタッフ
京ちゃんです☆


実は、『伏見城』は三つあったのです。

「指月(しづき)伏見城」、「木幡山(こはたやま)伏見城」、「徳川時代の伏見城」なのです。
『伏見城』の歴史は、「豊臣秀吉の時代」と「徳川家康の時代」の2つに分けることができます。

伏見城は3度築城され、1・2回目は豊臣秀吉、3回目は徳川家康によって築城されました。
3回目の徳川家康の築城は、2回目の豊臣秀吉の城の再建でした。

それでは、3回の築城につい見てみましょう。

1回目の「指月(しづき)伏見城」は、天下統一を成し遂げた秀吉が、関白の位を豊臣秀次に譲り、隠居のため城でした。
余生を送る住まいなので、月の観賞の名所であった指月(しづき)に目をつけたのです。
しかし、1596年(慶長元年)に近畿地方を襲った、大きな慶長伏見地震により倒壊してしまいました。

2回目の「木幡山(こはたやま)伏見城」は、慶長伏見地震により指月から約1キロ離れた北東にある木幡山に避難し、すぐにその木幡山に伏見城を建てたのです。
木幡山は、聚楽第のある洛中や大坂城のある大坂方面も見渡せる絶好の場所だったのです。
秀吉は伏見城と大坂城を行き来しましたが、伏見城で過ごすことが多かったようです。
1598年(慶長3年)に秀吉は亡くなり、「木幡山伏見城」で過ごしたのは僅か4年でした。

3回目の「徳川時代の伏見城」は、豊臣秀吉亡き後に徳川家康が入りました。しかし、1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」直前の、「伏見城の戦い」で焼失しましたが、1601年(慶長6年)に、家康は伏見城を再建しました。
幕府を開いた後も、家康は江戸城よりも伏見城でいる期間が長かったそうです。
また、一国一城令により「二条城」を残すため、『伏見城』は廃棄されました。


ところで、現在の伏見城の天守閣は、「伏見桃山城キャッスルランド」の遊園地施設として作られたもので、本来の伏見城天守閣は、明治天皇陵あたりになるそうです。
また、伏見城大手門は御香宮神社の表門として移築され、現在も見ることができます。

伏見城散策、如何でしょうか‼

基本情報

名称まいぷれ京都市伏見区編集部
フリガナマイプレキョウトシフシミクヘンシュウブ
住所612-8364 京都市伏見区下油掛町157-1 メゾンナガサワ-102
アクセス京阪本線伏見桃山駅より徒歩8分
京阪本線中書島駅より徒歩8分
近鉄京都線桃山御陵前駅より徒歩9分
京橋バス停より徒歩1分
メールアドレスmypl@bond-town.com
営業時間土曜、日曜、祝日は休業日です。
クレジットカードVISA/Master/JCB
駐車場なし
近隣のパーキングをご利用ください。
開業日2019年02月01日
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