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【編集部ニュース】京都・城下町伏見の『徳川時代の伏見城』を紹介します‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  

まいぷれ京都市伏見区編集部

現在の伏見城天守閣「【編集部ニュース】京都・城下町伏見の『徳川時代の伏見城』を紹介します‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

現在の伏見城天守閣

現在の伏見桃山城「【編集部ニュース】京都・城下町伏見の『徳川時代の伏見城』を紹介します‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

現在の伏見桃山城

伏見指月復元石垣「【編集部ニュース】京都・城下町伏見の『徳川時代の伏見城』を紹介します‼ @京ちゃんの伏見ヒストリー日記  」

伏見指月復元石垣

まいぷれ伏見区編集スタッフ
京ちゃんです☆


実は、『伏見城』は「指月(しづき)伏見城」、「木幡山(こはたやま)伏見城」、「徳川時代の伏見城」の三つあったのです。


『伏見城』の歴史は、「豊臣秀吉の時代」と「徳川家康の時代」の2つに分けることができます。


『徳川時代の伏見城』は、豊臣秀吉の死後政権を狙う徳川家康と、それを阻もうとする石田三成との争いの場となりました。
家康は、大阪城の豊臣秀頼の大老として伏見城に入り、実質的には家康の居城となったのです。


慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦では、徳川家の武将鳥居元忠・松平家忠らが伏見城を守りましたが、
石田三成をはじめとする西軍の攻撃を受け落城し、完全に焼失してしまいました。

しかし、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、ただちに伏見城の再建にとりかかりました。


慶長8年(1603年)、家康が征夷大将軍に任じられたのも、この伏見城でした。


家康は、二年間の将軍在任中の期間も伏見城ですごし、徳川家康政権は「伏見幕府」であったと言えるでしょう。
伏見城は、その後も徳川政権の拠点として大いに活用され、大坂夏の陣で豊臣家が滅亡すると、その役割を終えました。


三代将軍徳川家光が、伏見城での最後の執行となり、それを終えると伏見城は廃城となりました‼



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基本情報

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