まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
マイプレ伏見編集部のすぐ近くに
龍馬商店街があり、龍馬の足跡をたどるように散策すると、あたかも龍馬の足音が聞こえてきそうな気配がします。
薩長同盟(1866年)成立の直後、龍馬が宿泊している伏見港の旅籠 (はたご)寺田屋に、幕府の伏見奉行所の役人が押し入りました。
当時の寺田屋は鳥羽伏見の戦いで被災し、
現在の寺田屋はその西側に再建された史跡とのことです。
難を逃れようと、元松下村塾生の高杉晋作から譲り受けたピストルで応戦したものの負傷。
寺田屋で働いていたお龍(りょう)の機転と、三吉慎蔵に助けられて
薩摩島津伏見屋敷に避難。
現在の松山酒造株式会社の正門付近(京都市伏見区東堺町472番地)だそうです。
幕末の日本を飛ぶように駆け抜け、沢山「ゆかりの地」がある龍馬ですが
伏見港は水運の重要な拠点で、伏見にゆかりがあるのも当然、納得ですよね。
その後お龍と結婚した龍馬は、西郷隆盛や小松帯刀(たてわき)の勧めで、療養を兼ねて薩摩の霧島に新婚旅行に出かけました。
それまでの龍馬の足跡です。
・20才前、
江戸で「剣術修行」の際に黒船遭遇。
・28才、「刀」を捨て、故郷を捨てて「脱藩」。江戸で理想の上司の部下となる。
かつての技術や知識に見切りをつけ、藩のメンツに執着せず、わが道をゆくのみ。
・30才、
神戸で「海運」の新技術習得に努める。が、上司が解任され訓練所廃止。
下田で脱藩を許されるが、藩命令に背いて再び脱藩。
地元親友等の死を受け止め、その遺志を継ぐ。
・31才、
長崎で「亀山社中」を結成。
会社を設立して「海運」で人をつなぐ。
写真撮影を「ブーツ」と「ピストルを懐に忍ばせる」ポーズで臨む。
・32才、当面の目標「薩長同盟」を達成するやいなや、寺田屋で役人に包囲され負傷して逃亡。
新婚旅行後は、これまでの勉強や経験が生きてさらにパワーアップ。
・長州と幕府の戦争に軍艦を派遣して参戦。
・船舶事故に「国際法を適用」させ損害賠償請求。
・脱藩した土佐藩からの要請もあって「船中で理想の国策」を練り、それを実現させる。
かつては犬猿の仲であっても、窮地には共に協力して局面に当たっていく。
・享年33才。大政奉還直後に旧勢力に追跡され、盟友との会談中に暗殺される。
そして元上司が同胞等と対面。争わず協力することで新時代の扉を開く。
姉の乙女への手紙に、彼はこう書き綴りました。
「日本を今一度せんたく(洗たく)致し申候(もうしそうろう)」
龍馬なら今の日本をどう思い、どのような行動の必要を唱え、何を示唆をするのでしょうか?
このコラムでは「
京都の彩り」はもとより、京都の歴史をより深化させてお伝えします。
そして
「京都」を訪れたなら、「伏見にも足を延ばそう。」と思っていただける内容にしたいと思っています。
読者様からご指摘等ありましたら遠慮なくお知らせください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伏見カメラマンの写真撮影
https://www.instagram.com/archive_photo_kyoto/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
龍馬とお龍の像・伏見みなと公園(京都府京都市伏見区表町)
>>
地図
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《アクセス》
・京阪電車 中書島駅から徒歩5分