まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
最近痛感していることですが
自身の「史観」を確立するには、「史実と史実をつなげる考察」「経緯(けいい・いきさつ)の検証」が必要、と思っています。
特に「交流」と「ロジスティクス」、つまり「流通」に着目!
歴史本(主に
教科書 詳説日本史)の精読にあわせて
「地図」と「年表」を手元に必ず置くようにしています。
さて、伏見は「港町」
鉄道や高速道路の無い時代に、物資を運ぶ有効手段は
「水運」です。
「疏水(そすい)」と「運河(うんが)」の違いが私にはよくわからず、AIはこう回答しました。
疏水: 農業用水や舟運などの目的で、土地を切り開いて新たに水路を設けたもの。または既存の河川を改修したもの。地域社会の発展に直接的に貢献する目的で設けられることが多い。
運河: 運輸や給排水、灌漑などの目的で人工的に造られた川。貨物輸送や物資の流通、産業の発展に大きく貢献する目的で設けられることが多い。
どう違うねん・・・
高瀬川は運河になりますね。
高瀬川をプロデュースしたのは、豪商の
角倉了以(すみのくらりょうい)です。
関ヶ原の戦いの翌年(1601年)、朱印船貿易でベトナムとの交易事業を開始。かつて唐が「安南都護府(あんなんとごふ)」を設置したことから「安南国」と呼ばれていました。
武田信玄しかり、豊臣秀吉もしかりですが
洪水対策、治水事業は都市経営の上で、最優先に取り組まねばならない課題です。
京都は2018年7月、台風による桂川氾濫が記憶によみがえります。
それより前の1608年、角倉了以は
自前で、大堰川(おおいがわ)の整備に着手しました。
ちなみに、嵐山の渡月橋を境にして南は桂川、北は大堰川、保津川と呼ぶこと、ご存じでしたか?
そして高瀬川の開削工事を幕府に届け出、許可を得て京都二条から伏見南浜まで運河で結びます。
私財を投入したとはいえ、通行料徴収で元はちゃんと確保しています。
その後、幕府から富士川、天竜川、庄内川等の治水事業の受注につなげるのです。
住民の
生活の利便と安心安全の実現。
高瀬舟で運んだ物資が、伏見経由で淀川を経て海路へ。
必要なものを必要者に届ける。
高瀬川沿いを基点に幕末の
志士達が活動。新しい時代の夜明けを夢見て、命をも落としてしまう。
琵琶湖疎水の
模範となり、水力発電によって電車が市内を走り、映画産業が花開く。
まあ実績がものをいい、「損して徳(得)取れ」とはいいますが・・
やり手、ビジネスマンの極み、といったところです。
このコラムでは「
京都の彩り」はもとより、京都の歴史をより深化させてお伝えします。
そして
「京都」を訪れたなら、「伏見にも足を延ばそう。」と思っていただける内容にしたいと思っています。
読者様からご指摘等ありましたら遠慮なくお知らせください。
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伏見カメラマンの写真撮影
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東高瀬川(松本酒造)(京都市伏見区横大路三栖大黒町)
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