まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
豊臣、徳川、そして明治へと移り変わり、歴史における勝者と敗者の評価は変わります。
1868年1月
鳥羽・伏見の戦いは「勝てば官軍」の象徴。時代の転換を決定づけた戦いでした。
新撰組の前身は1862年に会津藩主・松平容保(かたもり)の京都守護職配下として結成された
壬生(みぶ)浪士組です。孝明天皇も容保には信任を寄せていました。
元水戸藩士の芹沢鴨、
西江戸の多摩出身で武士の身分でない近藤勇、土方歳三らを主軸に京都市中の巡察や過激勤王派の取り締まりに活躍。つまり今でいう「警察部隊」だったのです。
文久の政変(1863年8月18日)で薩摩藩と会津藩の公武合体派が長州藩等の勤王派を御所より追放。
その報復を画策していた勤王派を「御用改め」の池田屋事件、そして禁門の変に参加し京都の治安を守ったことで新撰組は武勇を世に知らしめます。
ところが
龍馬の仲介で薩長同盟が成立し、世の中は討幕へと情勢がひっくり返ってしまいます。
1867年、孝明天皇も崩御して大政奉還。
翌年、幕末の戊辰戦争が鳥羽・伏見の戦いを皮切りに勃発します。
局長の近藤は幕臣の地位を得ていて、その最前線に立つ予定だったのですが
伏見の墨染で銃撃され負傷します。
旧幕府軍は
伏見奉行所を拠点に、土方を筆頭とする新撰組と会津藩先鋒隊が応戦しますが
近藤不在は指揮に影響し、
新政府軍が掲げた「錦の御旗」は官軍の大義名分を与え、旧幕府軍は「朝敵」「逆賊」となります。
余談ですが、伏見の
会津藩駐屯地跡にある伏見御堂の前は、豊臣秀吉設計の城下町ならではの
「四辻の四つ当たり」(東西南北どこから来てもまっすぐ進めない)となっていて、敵の進行を妨げるために見通しが悪く、一旦停止や徐行を与儀なくされる要注意の道路です。
でも、酒蔵を背景に控え、歴史を存分に楽しめるスポットですからお見逃しなく!
その後、新撰組の組織力は急降下してしまい、散り散りになって江戸へ撤退し各地で転戦します。
負傷から回復した近藤は、大久保大和と改名して西江戸を守衛する甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)を結成。
しかし山梨の勝沼で敗北。捕らえられ斬首。(享年35)
旧隊士や白虎隊を従えた松平容保は、故郷会津で敗北。
土方は箱館の五稜郭へと赴き、旧幕府海軍の榎本武揚と共に抗戦、戦死。(享年35)
1869年、戊辰戦争は終結します。
剣道場で共に腕を磨き、「武士よりも武士らしくありたい。」という志で入京。
しかし気が付くと、あっという間に刀槍をもう必要としない時代に移り変わってしまっていたのでした。
こうして新撰組は剣客集団としての役割を終えて、歴史の表舞台から姿を消します。
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伏見カメラマンの写真撮影
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