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伏見人

二宮はるよ(ご先祖さま/お盆なので帰省中)vol.105

遠く離れていても、皆さんを見守ってくれている 二宮はるよさん☆

今日は、8月12日。お盆のまっだな中ですね。

普段手を合わせることのない人も、この時期には、ご先祖さまに思いを馳せているのではないでしょうか。

 

どこか遠い遠いところに住んでおられるご先祖さま。
今回の伏見人は、そんなご先祖さまにお話しを伺うことができました。

Q1. どんなお仕事/活動をしていますか?

この時季に、たくさんの人の会っておきたい。

 

私が生まれたのは明治36年。

明治・大正・昭和・平成とそちらの世界にいました。

 

現在は、私の子孫たちを見守っています。
この時季は、あちらこちらから呼び出しがあり、大変忙しくしています。

 

8月16日には、また戻らないといけないです。

久しぶりに私の子孫たちに会えたのに、寂しいですがね。

 

ちなみに、8月16日は、大文字焼きではなく、正しくは「五山の送り火」といいます。

この日は、ご先祖さまをお見送りする大切な行事(仏事)なんですよ。

昔は「五山の送り火」に向かって、手を合わせている人がたくさんいましたよ。

Q2. 大切にしていること/こだわり

毎日が一粒万倍! そんな気持ちで毎日を過ごしていました。

 

大切にしていることですか。

ちょっと意味合いが違いますが「一粒万倍」(ひとつぶまんばい)という言葉です。

 

一粒万倍とは、「1が 10,000 に大きく膨れ上がる」という日のことです。

カレンダー(暦)を見ると、小さな字で書いていますよね。

この日は、何かを始めるのにピッタリとされている日です。

 

この一粒万倍は、暦の上で何日か決まっています。

でも、私はこの一粒万倍の日は、毎日あると思っています。

違う言い方をすれば、毎日そう思うことで、万倍どころか億倍や兆倍になると思っています。

 

私は、昔、東京に住んでいました。

その時は、大工の棟梁に嫁いでいましたので、何十人の職人さん達と寝起きを共にしていました。

なんせ大人数ですので、職人さん達の食事を作るのも、そりゃ大変でしたよ。

毎日が、戦争状態でしたね。

 

たくさんの食事を作るということは、当然、たくさんの余り物もでていました。

その余り物で、お握りを作って、困っている人に分けていましたよ。

 

噂を聞きつけ、たくさんの人が来ましたね。

それから何十年経って、当時私の住んでいた場所を探し出し、お礼を言ってきた方がおられました。

それから、長い間ずっと、いいお付き合いをしていましたよ。

 

これは一例ですが、一つの行動が万倍、いや、それ以上になって返ってきた事例です。

もちろん、自分自身に余裕がないと、こんなことはできませんが、皆さんもぜひ実践してみてください。

Q3. 伏見のココが好き!!

誰でも受け入れてくれる街。そんな伏見に憧れて。

 

先ほど、東京に住んでいたと話しましたね。

実は、若かりし頃、役者になりたいと思い、家出同然に東京へ出てきたんです。

 

当時の東京は、まだ江戸の文化が残っていました。

今では話す人がいない江戸弁を、隣近所の人がしゃべっていましたね。

結局、役者になるという夢は果たせなかったんですが、田舎から出てきた者にとっては、刺激がいっぱいでした。

 

それから何年かして、あの関東大震災に被災しました。

運よく命は助かったんですが、それから色んな場所を転々としました。


京都へは、昭和の初めごろに引っ越してきたと思います。

最初は、民宿がたくさんあった、西本願寺あたりに住んでいました。

私は、ここで終戦をむかえました。

 

当時は、アメリカの飛行機が飛んできて、頻繁にビラを撒いていましたね。

確か、何たらかんたらと日本語で書いてありましたね。

そうそう!「早く降伏しろ。」と書いてました。

 

その後、ここ「伏見」に引っ越してきました。

伏見は、昭和初期に「伏見市」だったこともあり、一度住んでみたかったんです。

住んでみると、「伏見」はいい町ですね。ほんと住みやすいです。

よそ者も直ぐに受け入れてくれましたよ。

東京もそうですが、ここ伏見も「よそ者を受け入れる文化」があると思っています。

 

生まれ変わるとしたら、また「伏見」に住みたいですね!

Q4. オススメのお店・場所

昔は、神さまや仏さまを大切にしていました。 

 

当時、伏見で有名な場所といえば「明治天皇陵」と「伏見稲荷大社」でしたね!

 

明治天皇陵は、戦前多くの人が参拝に来ていましたよ。

今の無人のJR桃山駅からは想像つかないと思いますが、そりゃたいへんな賑わいでしたよ。

土産物屋も、たくさん並んでいて、全国各地から参拝に来られていました。

 

明治天皇陵の近くには、日露戦争で活躍された乃木大将が祭ってある「乃木神社」も好きな場所でした。

ちなみに、私の生まれた翌年は日露戦争が始まった年です。

乃木大将が活躍された戦争ですね。

そんなこともあり、とても大好きな神社でした。

 

あと「伏見稲荷大社」もよく行ってました。

毎年、初午(はつうま)の日には、必ず参拝していましたよ。

初午(はつうま)とは、2月の最初の午の日です。

今年は2月10日でしたね。

この日は、元旦や例祭の日よりも、多くの人が参拝していましたよ。

 

そうそう「御香宮神社」もよく参拝していました。

当時は、境内に鳩がいっぱいいたんですが、最近どうしたんでしょう、まったく見ないですね。

 

ちなみに、御香宮神社に古井戸がありましてね。

その近くに古びた物置小屋があったんです。

孫と一緒に行く度に、「ここの小屋で義経が生まれた場所だよ!」と、よく話をしていました。
ほんとかどうか知りませんが、どうなんでしょうか(笑)

 

孫には悪いことをしたと思っています。

Q5. 今後の目標

世の中の便利さは激変しましたが、今も昔も変わらないものを大切に!

 

明治・大正・昭和という時代。

今から思えば、いろんな意味で人間味のある時代でしたね。

SNSもなく、携帯電話もない時代。

コミュニケーションをとるには、実際に合わないといけない時代です。

 

当時は、食べるものが手に入らず毎日の生活に困っても、今みたいに政府に頼るということはなかったですね。

そんな時代ですから、隣近所の皆さんや、仲の良い友達、そして親戚一同が助け合わないと生きていけない時代でした。

 

当時は、家に鍵を掛けなくても大丈夫な時代。
急に雨が降ってきたら、隣の人が家に上がり、洗濯物をといれてくれていました。
今では、考えられないですよね。

昔は、こうやって助け合っていた時代です。

 

人は一人では生きていけません。

いざというときに助けてくれる仲間は、絶対に作っておきたいですね。

 

私がいうのもなんですが、ご先祖さまも大切にした方がいいですよ。
今があるのは、代々のご先祖さまがいての話。

 

私は、過去を大切にし感謝することで、現在を活き活きと生活することができると思っています。

そして、その延長線上に、自分自身の子孫が活き活きと暮らせる未来があると思っています。

 

こういうのは当たり前のことですが、今も昔も変わらい点だと思っています。

世の中が変わっても、変わらないものがあります。

そういうのを大切にしていきたいと思っています。

【編集コメント】

 

お盆の真っただ中。帰省中の方もおられるでしょうね。

今回の伏見人は、この時季に少しでも思いをはせてほしいとの思いで、ご先祖さまに登場していただきました。

 

今の生活があるのは、これまで助けてくださった方々はもちろん、ご先祖さまのお陰でもあると思っています。

ご先祖さまには、リアルに会うことはできませんが、少しでも思い出していただければと思います。

 

(取材 編集長)

※取材時点の情報です。掲載している情報が変更になっている場合がありますので、詳しくは電話等で事前にご確認ください。

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