伏見人
遠く離れていても、皆さんを見守ってくれている 二宮はるよさん☆
今日は、8月12日。お盆のまっだな中ですね。
普段手を合わせることのない人も、この時期には、ご先祖さまに思いを馳せているのではないでしょうか。
どこか遠い遠いところに住んでおられるご先祖さま。
今回の伏見人は、そんなご先祖さまにお話しを伺うことができました。
私が生まれたのは明治36年。
明治・大正・昭和・平成とそちらの世界にいました。
現在は、私の子孫たちを見守っています。
この時季は、あちらこちらから呼び出しがあり、大変忙しくしています。
8月16日には、また戻らないといけないです。
久しぶりに私の子孫たちに会えたのに、寂しいですがね。
ちなみに、8月16日は、大文字焼きではなく、正しくは「五山の送り火」といいます。
この日は、ご先祖さまをお見送りする大切な行事(仏事)なんですよ。
昔は「五山の送り火」に向かって、手を合わせている人がたくさんいましたよ。
大切にしていることですか。
ちょっと意味合いが違いますが「一粒万倍」(ひとつぶまんばい)という言葉です。
一粒万倍とは、「1が 10,000 に大きく膨れ上がる」という日のことです。
カレンダー(暦)を見ると、小さな字で書いていますよね。
この日は、何かを始めるのにピッタリとされている日です。
この一粒万倍は、暦の上で何日か決まっています。
でも、私はこの一粒万倍の日は、毎日あると思っています。
違う言い方をすれば、毎日そう思うことで、万倍どころか億倍や兆倍になると思っています。
私は、昔、東京に住んでいました。
その時は、大工の棟梁に嫁いでいましたので、何十人の職人さん達と寝起きを共にしていました。
なんせ大人数ですので、職人さん達の食事を作るのも、そりゃ大変でしたよ。
毎日が、戦争状態でしたね。
たくさんの食事を作るということは、当然、たくさんの余り物もでていました。
その余り物で、お握りを作って、困っている人に分けていましたよ。
噂を聞きつけ、たくさんの人が来ましたね。
それから何十年経って、当時私の住んでいた場所を探し出し、お礼を言ってきた方がおられました。
それから、長い間ずっと、いいお付き合いをしていましたよ。
これは一例ですが、一つの行動が万倍、いや、それ以上になって返ってきた事例です。
もちろん、自分自身に余裕がないと、こんなことはできませんが、皆さんもぜひ実践してみてください。
先ほど、東京に住んでいたと話しましたね。
実は、若かりし頃、役者になりたいと思い、家出同然に東京へ出てきたんです。
当時の東京は、まだ江戸の文化が残っていました。
今では話す人がいない江戸弁を、隣近所の人がしゃべっていましたね。
結局、役者になるという夢は果たせなかったんですが、田舎から出てきた者にとっては、刺激がいっぱいでした。
それから何年かして、あの関東大震災に被災しました。
運よく命は助かったんですが、それから色んな場所を転々としました。
京都へは、昭和の初めごろに引っ越してきたと思います。
最初は、民宿がたくさんあった、西本願寺あたりに住んでいました。
私は、ここで終戦をむかえました。
当時は、アメリカの飛行機が飛んできて、頻繁にビラを撒いていましたね。
確か、何たらかんたらと日本語で書いてありましたね。
そうそう!「早く降伏しろ。」と書いてました。
その後、ここ「伏見」に引っ越してきました。
伏見は、昭和初期に「伏見市」だったこともあり、一度住んでみたかったんです。
住んでみると、「伏見」はいい町ですね。ほんと住みやすいです。
よそ者も直ぐに受け入れてくれましたよ。
東京もそうですが、ここ伏見も「よそ者を受け入れる文化」があると思っています。
生まれ変わるとしたら、また「伏見」に住みたいですね!
当時、伏見で有名な場所といえば「明治天皇陵」と「伏見稲荷大社」でしたね!
明治天皇陵は、戦前多くの人が参拝に来ていましたよ。
今の無人のJR桃山駅からは想像つかないと思いますが、そりゃたいへんな賑わいでしたよ。
土産物屋も、たくさん並んでいて、全国各地から参拝に来られていました。
明治天皇陵の近くには、日露戦争で活躍された乃木大将が祭ってある「乃木神社」も好きな場所でした。
ちなみに、私の生まれた翌年は日露戦争が始まった年です。
乃木大将が活躍された戦争ですね。
そんなこともあり、とても大好きな神社でした。
あと「伏見稲荷大社」もよく行ってました。
毎年、初午(はつうま)の日には、必ず参拝していましたよ。
初午(はつうま)とは、2月の最初の午の日です。
今年は2月10日でしたね。
この日は、元旦や例祭の日よりも、多くの人が参拝していましたよ。
そうそう「御香宮神社」もよく参拝していました。
当時は、境内に鳩がいっぱいいたんですが、最近どうしたんでしょう、まったく見ないですね。
ちなみに、御香宮神社に古井戸がありましてね。
その近くに古びた物置小屋があったんです。
孫と一緒に行く度に、「ここの小屋で義経が生まれた場所だよ!」と、よく話をしていました。
ほんとかどうか知りませんが、どうなんでしょうか(笑)
孫には悪いことをしたと思っています。
明治・大正・昭和という時代。
今から思えば、いろんな意味で人間味のある時代でしたね。
SNSもなく、携帯電話もない時代。
コミュニケーションをとるには、実際に合わないといけない時代です。
当時は、食べるものが手に入らず毎日の生活に困っても、今みたいに政府に頼るということはなかったですね。
そんな時代ですから、隣近所の皆さんや、仲の良い友達、そして親戚一同が助け合わないと生きていけない時代でした。
当時は、家に鍵を掛けなくても大丈夫な時代。
急に雨が降ってきたら、隣の人が家に上がり、洗濯物をといれてくれていました。
今では、考えられないですよね。
昔は、こうやって助け合っていた時代です。
人は一人では生きていけません。
いざというときに助けてくれる仲間は、絶対に作っておきたいですね。
私がいうのもなんですが、ご先祖さまも大切にした方がいいですよ。
今があるのは、代々のご先祖さまがいての話。
私は、過去を大切にし感謝することで、現在を活き活きと生活することができると思っています。
そして、その延長線上に、自分自身の子孫が活き活きと暮らせる未来があると思っています。
こういうのは当たり前のことですが、今も昔も変わらい点だと思っています。
世の中が変わっても、変わらないものがあります。
そういうのを大切にしていきたいと思っています。
【編集コメント】
お盆の真っただ中。帰省中の方もおられるでしょうね。
今回の伏見人は、この時季に少しでも思いをはせてほしいとの思いで、ご先祖さまに登場していただきました。
今の生活があるのは、これまで助けてくださった方々はもちろん、ご先祖さまのお陰でもあると思っています。
ご先祖さまには、リアルに会うことはできませんが、少しでも思い出していただければと思います。
(取材 編集長)
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