まいぷれ伏見区編集スタッフ
京ちゃんです
☆
来年(2026年)1月より、NHKの大河ドラマ
『豊臣兄弟!』が放送されます。
そこで天下人・豊臣秀吉の弟
「豊臣秀長」をウオッチしたいと思います。
秀長は兄の天下取りをいちずに支え続けた
「天下一の補佐役」といわれています。
筆者は、
『もしも豊臣秀長が伏見城城主だったら』を空想してみました。
豊臣秀吉死後の1598年、伏見城は豊臣秀頼の居城となりましたが、豊臣秀長が存命であれば、秀長が豊臣家の家督を事実上掌握し、幼い秀頼の後見人として伏見城を拠点に政治を行ったと考えられます。
秀長は内政に長けていたため、伏見城を単なる軍事拠点ではなく、文化・行政の中心地としても発展させたでしょう。
また、関ヶ原の戦い(1600年)では、秀長の存在が西軍の結束を強め、徳川家康との対決において、より組織だった戦いが展開された可能性があります。
仮に西軍が勝利していれば、伏見城は豊臣政権の中枢として一層の発展を遂げたでしょう。
秀長の政治的手腕があれば、
大坂の陣(1614-1615年)も回避できた可能性があります。
秀長は徳川家康との交渉を通じて
豊臣家と徳川家の共存を図り、
伏見城を豊臣家の本拠地として維持・発展させたかもしれません。
伏見城は、豊臣政権下で京都と大坂を結ぶ交通の要衝であり、秀長の存在によって政治・外交・文化の中心として長く栄えた可能性があります。
秀吉が築いた豪華絢爛な伏見城は、秀長の現実的な行政手腕によって、より機能的で持続可能な形で発展を続けたことでしょう。
秀長の存在は、豊臣家の命運を大きく左右したと思います。秀吉が築いた豊臣政権は、秀長という有能な実務家を失ったことで求心力を失い、
結果として徳川家に取って代わられました。
歴史の「もしも」を考えることは、単なる空想ではなく、各時代の重要人物の役割を再評価する機会を与えてくれます。秀長という影の立役者がもう少し長生きしていれば、日本の歴史地図は大きく塗り替えられていたかもしれません。
その意味で、豊臣秀長という人物の再評価は、日本史理解の深化につながるのではないでしょうか ‼
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#大坂の陣(1614-1615年)
【付録:チョット一言 経営学】
『営業利益とは❓』
【解説】
営業利益は、企業の本業から得られる利益を示す重要な経営指標です。
売上高から売上原価や販売管理費などの経費を差し引いた金額で、企業
の収益力と経営効率を測る指標となります。
つまり、本業での儲けの大きさを直接的に表現する数値であり、企業の真の
稼ぐ力を知ることができます。
【感想】
営業利益は、企業の経営状態を理解する上で最も分かりやすい指標だと
感じます。単なる売上高ではなく、実際の収益性を示すこの数値は、投資
家や経営者にとって非常に重要な意味を持っています。
企業の本質的な強みを映し出す鏡のような存在だと言えるでしょう。