まいぷれ伏見編集部スタッフの
なるさんです!
京都で新(鎌倉)仏教の布教活動が開始したのは「平氏であらずんば人にあらず」のご時世。
(武蔵坊弁慶を除いた?)僧兵が強訴を繰り返していた平安末動乱期の最中、
1175年です。
法然が比叡山を下り、「
専修念仏(南無阿弥陀仏とただ唱えることで極楽往生を願う。)」を説いて浄土宗を開いたこと(立教開宗)が出発点です。
親鸞は1173年に伏見区日野で誕生します。
貴族日野家の出身で、9歳で比叡山で修行を開始しますが、救いを実感できず
29歳(1202年)で法然に師事します。
栄西が建仁寺を設立して、「茶」の普及と禅宗がスタートした年であるのは何とも希有ですね。
出生地、
日野誕生院は従来の浄土真宗寺院とは趣が違っていて、まるで開かれた平安時代の屋敷を訪問しているような気がします。
荘厳ながらも心持が落ち着く、タイムスリップしたかのような気配がします。
やがて親鸞は「阿弥陀仏の本願にすべてを委ねる。」
他力念仏を徹底して
戒律や身分にとらわれない浄土真宗を確立します。
親鸞は妻帯し、在家の姿で庶民に念仏を広めます。
こうして仏教は貴族・僧侶に限られたものでなくなり、誰にでも、大衆のための宗教と変わっていったのです。
弟子、唯円が書き残した親鸞の文言集
『歎異抄(たんにしょう)』より
「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや。」
(善人でさえ極楽浄土に往生できるのだから、ましてや悪人はなおさら救われる。)
親鸞が説いた「悪人正機説(あくにんしょうきせつ)」では
「むしろ悪人こそが阿弥陀仏に救われるにふさわしい。」
「自らの無力さを知る者こそ、本当の意味で救いに近い。」という
謙虚さと信頼(他力)を説いています。
1207年
承元の法難(じょうげんのほうなん)
延暦寺と興福寺が専修念仏の停止を朝廷に訴えていた最中に、院の女房らが念仏会に参加していたことが発覚。
後鳥羽上皇の命で法然・親鸞ともに流罪となり、僧籍を剥奪されますが、親鸞の教えは東国で広まり続けます。
1224年「教行信証(きょうぎょうしんしょう)」選出。(立教開宗)
後に親鸞は京都へ戻りましたが、念願の恩師、法然と再会することは叶わず
1262年 90歳で生涯を閉じました。
1272年 親鸞の娘、
覚信尼(かくしんに)が親鸞の墓、大谷廟堂を建立したのが本願寺の始まりです。
戦国時代を経て豊臣秀吉は交通の要地、石山本願寺跡地に大坂城を造営し、現在の京都西本願寺の土地を門徒に寄進しました。
その後、徳川家康が東本願寺の土地を寄進して、本願寺派と大谷派に分断します。
西本願寺の唐門は伏見城からの移築。 飛雲閣は聚楽第の遺構と伝えられ
何かと伏見にゆかりのあることが、垣間見えてきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伏見カメラマンの写真撮影
https://www.instagram.com/archive_photo_kyoto/
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
日野誕生院
>>
地図
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《アクセス》
・地下鉄東西線 石田から徒歩20分